糞母日記

人生はつづいていく

外から見たんじゃわからないよね

妻が急死し借金を作りまくって首吊り自殺をしたアルコール依存症の叔父は、

飲み仲間達からは羽振りのいい明るい人だと思われていたらしい。

私もきっと周りからは元気な人と思われてるんだろうけど、

この一年間で2回ほど「まじで死のっかな!」と思った。

あれは別居したばかりの冬で、3人の子供を寝かせてから一人でゆっくりお風呂に入っていた。

脱衣所の電気は消して、クリスマスツリーに飾るみたいなフェアリーライトだけつけていた。

浴室のドアのガラスごしにぼんやり見えるその光を見ながら長い入浴をして、浴室から出た。

静かな暗い家、ライトがきらきらと光っていた。

ああ死のうかな、と、本当に唐突に思った。

おえおえ泣きながら、クローゼットのポールに体重をかけて強度を確かめた。

でもその日の昼間は私の大好きな友達が遊びに来ていたので、

「このタイミングで死んだら◯◯ちゃん後味悪いな」と思って我に返った。

もう少し早く様子を見にきていればと泣きながら弟の死体を抱きかかえて下ろした母に娘の死体まで下ろさせるわけにはいかないし、

何よりもこの子達を泣かせるわけにはいかない。

そんなの当たり前すぎてまじで自殺なんてありえないのに、いつもなら本当に本当に至極当たり前にそう思えているのに、

ふっ、と死神に手を引かれるような瞬間ていうのがあるんですね。

「自殺の兆候なんてなかった」って言われる人は、我に返らないまま実行してしまった人なんだろうなぁ。

人の心っていうのはどんなに近くにいる人でもわからないね。

自分でもわかれないんだもの。

 

余談だけど、

先日ネットの工事に来てくれた人が、死んだ叔父の息子、つまり私の従兄弟と一緒に仕事をしたことのある人だった。

その人は叔母が死んだばかりの頃に叔父の家に工事に行ったらしい。

呼び鈴を鳴らすと、やっとのことで起き上がったという風情の叔父が出てきて、

死んだ妻が予約した工事だ、と話したそうな。

叔父の姿を見て、奥さんを亡くすと人ってこんなんなっちゃうのかぁ、と思ったらしい。

 

そして数年後従兄弟と仕事をすることになり、従兄弟が「妻を亡くしヨロヨロになっていた人」の家の子供だと判明。

あの後父は自殺しました、と聞き驚いたそう。

同僚にその事を話すと、同僚は「その人弱いんだね」と言ったそうだ。

その後従兄弟とは仕事の関係で会わなくなり、数年後に自分も妻を亡くし、

死にたいくらい辛かった(今もそうであるという口ぶりだった)らしい。

その彼を踏みとどまらせたのが、自死遺族として苦労していた従兄弟の姿と、「あの人弱いんだね」という同僚の言葉だったそうだ。

今の自分があるのは叔父や従兄弟のおかげ、不思議な縁を感じる、と言っていた。

 

実はその人は私が以前住んでいた家にも工事に来てくれてたんですよ。

向こうは覚えてないかもしれないけど、私はその時の彼が全然喋らない死んだ目をしたおじさんだったことを覚えてる。

だから2回目に会った時にこんなに会話してくれてびっくりしたの。

時期的に、死んだ目をしてた時はパートナーを亡くしたばかりの時だったのかも。

私ねその時「愛想のないおっさんだなー」って思ったんですよ。

ほんとうに、外から見たんじゃわからないんですよね。

なんにもね。

あのおじさんが長生きしますように。