捨てられない子供
さらさらと、
指のあいだからこぼれ落ちるように、
私が少しずつなくしてきたものの事を考える。
一点の曇りもなく「また明日ね」を信じられた気持ち、
楽しかった今日の思い出のお絵かきを捨てたくない気持ち、
人から見て下手くそかどうかなんて考えずに、
自分で作ったお人形をかばんに付けた気持ち___
一つ一つに思い出があるから、全てのものを捨てられない子供だった私は、
なんでも捨てられる大人になった。
卒業アルバムも、子供が赤ちゃんの頃に着ていた服も、臍の緒ですら捨てられる(まだ捨てていませんが)。
それはBUMP OF CHICKENが歌ってましたが「一緒に見た空を忘れても一緒にいた事は忘れない」と思うようになったのもあるけれど、
過ぎていく時間と薄れていく記憶に怯え、
せめてもの抵抗にとなんでもかんでも取っておくことが、
時間の不可逆性に立ち向かう助けになるわけではないと気づいたから。
薄れてしまった記憶を蘇らせる手助けとして、
小さな小さな、あの頃の我が子の匂いすらしそうな、古ぼけた赤ちゃんの洋服が役立ったとして、
それがなんになるの?
あの頃のあの子には触れない、あの赤ちゃんの匂いを胸いっぱいに吸い込むことはもう2度とできない、
その絶望をなんとかやり過ごして、
今日とその先の幸せと希望にピントを絞って、
なんとか生きていこうとしているのに。
それならば、手放すことが辛くないうちに、
捨ててしまいたいんです。
カメラロールにある無数のペットの写真、
死んでからじゃ消せないでしょう?
だから生きてるうちに整理しないと。
思い出も、新鮮なうちに整理しないと。
子供達が巣立ち、猫が死んで、
一人きりになったこの家で、
思い出の品がぎっしり詰まった箱を開けるなんて、
そんなのは充分すぎるほどの死ぬ理由でしかないでしょう。