育んで守るもの
血を分けた子供を産み育ててみて最も強く思ったことは、
血の繋がりなんてなんの意味もないな、ということだった。
産んだから親子なんじゃない。
この子を育てるぞ、この子を愛すぞ、という決意と覚悟をして、
向き合い、通じ合い、積み重ねた双方向の絆、それこそが親子の証なのだ。
母性神話なんてカスですよ。
虐待する親、子供を捨てる親、子供放置で遊び回る親、そんなの掃いて捨てるほどいるじゃん。
努力して、覚悟して、それで初めて手に入るのだ。
親子の絆、子供からの親に対する信頼というものは。
それでも小さな子供というのは親子関係が彼らの世界のほとんどを占めていて、「あなたが全て」という顔で無償の愛をくれる。
それに甘えちゃいけないな、と思うんです。
特に我が家は大人が私一人だけですから、
独裁者になってはいけないなと思うんです。
つい、親という立場、大人という立場に甘んじて、
力関係が平等ではない口のききかたをしてしまう時がある。
親友には言わない事も子供には言えてしまったりする。
「毎日大変なんだから仕方ないよ。親だって人間だよ。」という声も聞こえてきますし確かにあまり自分を追い詰めてもいけないとは思うけど、
それでもやっぱりそれは不誠実であり不正義だと思うんです。
覚悟と、情熱をもって、ただ一つ正義にもとづき子育てをしたい。
自分の内側に在る小さな不正義を見て見ぬふりをするとか、自分との約束を破るとか。
そういうのが、水が少しずつ少しずつ石を丸めていくみたいに自分を尊く思う心を摩耗させていくから。
先っちょが折れやすくなろうとも、ウニみたいに尖った石でいたい。
摩耗するのはとてもこわい。